場面緘黙を克服?少し話せる?わたし子どものころは場面緘黙だったかも・・・

わたしは今、幼保特例制度をつかって「幼稚園教諭」の資格取得のために勉強しています。

そこでひとつのテーマの中で「場面緘黙(選択性緘黙)」が出てきました。

 

うすうす感じていて、そうだったかも・・・

とこれまでに思うことはありましたが

きっとわたしは場面緘黙だったとこれまで以上に思うようになりました。

 

わたしは小学校に入学する前から小学校にあがってからも、人前で話すことができませんでした

もしかしたらほんの少しは小声で話していたかもしれませんが

まず自分から話すことはなかったし、小学校に入学してからも授業中に「はーい」と挙手することなどありませんでした

 

幼稚園教諭資格取得の勉強の中で気づいた

「わたしも場面緘黙だったかも」

「きっとそうだわ」

と思ったことについて自分の体験談を記そうと思います

 

この記事では

・勉強で学んだ場面緘黙の子どもの1例の姿や対応

・私自身の幼少期の様子や自分が感じていたこと

をつらつらと綴ろうと思います

場面緘黙の子の1例

ここからは幼稚園教諭資格取得の勉強中に

わたしが過去場面緘黙だったかも・・・きっとそう

と思った事例のことです

3歳児の女の子(経緯)

4月入園当初

・登園時母親から離れることを泣いて嫌がる

・幼稚園バスに乗れず母親が車で送ってくる

 

4月半ば

・バスの到着より少し早く登園してもらい駐車場に担任が迎えに行き、母親は帰る

・しばらくは教室に入れず、テラスから駐車場の方を眺めてぐずぐずしていた

 

5月半ば

・徐々に教室に入って活動に参加できるようになった

・出席確認の返事や問いかけへの返答はない

・自分から積極的に動くこともない

・うながされたり手を引かれて遊戯などに入っていく

 

5月末

母と面談

・本人(女児)は「幼稚園バスに乗るのは嫌

でも幼稚園は嫌じゃない」と話している

・以前ほど心配はしていない

・家では困るくらいおしゃべりで活発

・近所に同年代の子が少なくて就園まで他児と遊んだことがほとんどなかった

・成育歴は周産期や発達過程に時に問題なし

・公園などで他児が遊んでいたりするとお父さんにしがみついて、促しても一緒に遊ぼうとしないことがたまにあった

成育歴より

・「園で話をしない」「緊張が高く動きが乏しい」といった特徴から

知識があれば「選択性緘黙(場面緘黙)」の可能性を考える

・この段階ですぐに選択性緘黙とみなすことは少なく、緊張を減らし、子どもが園の活動に興味を持てるような工夫をしながら様子をみることが一般的

 

・家でも話をするのだから園でも話をするようにと「話すこと」に皆の注意が集中しすぎてしまうことがよくある

・かえって本人の話さなければならないという緊張感やうまく言葉が出ないという不安を助長する場合もある

女児への対応

・先生と2人でおしゃべりをする機会を増やし、返事をしやすいように選択肢のある質問をするように

・朝の出欠では気持ちを盛り上げようと楽しい雰囲気でお友達と一緒に励ますなどの工夫

・初めは少しはにかんだ笑みを浮かべて黙っていた

・徐々に返事をしなければいけないような状況や、順番に何かをするような場面で緊張して固まってしまうことが多くなった

 

 

お母さんに公的機関の巡回相談をすすめる

家族と女児:専門の相談室で継続的にセラピーを受ける

園:女児が「話すこと」より「話さなくても」安心していられる場を作っていくことを意識したクラスづくり

 

選択性緘黙(場面緘黙)への対応

・選択性緘黙の子どもたちは「話さない」わけではない

・話そうとしても言葉がうまく出てこない

あるいは話すことが不安で動けなくなる。

話すことを促されすぎると、さらに不安が高まってしまい、自分への否定も強まる

・クラスや先生が「話さなくても存在を受け入れてくれる居場所となっている」ことが大切

 

工夫は?

・返事を必要としない話しかけ

・出欠は「手を挙げる」「ポーズをつける」

・ペアやグループで発表や発言 自然な対応

・輪の中でにこにこしている時間が増えた

・小さな声での返事ができるようになる→1年後ほとんど特別な配慮は不要になった

 

・どういった場合でも身体の緊張感は低減していることが重要

・適切な支援がなければ就学後も継続する場合が多い

 

出欠の順番を飛ばしたり「話さなくていい、話せないから」と配慮をしているように見えて除外する対応になってしまうことがある

・クラス全体の動きをどう作っていくのかの観点から考える

・配慮は数年単位で必要になる場合もある

徐々に様子が変わる

発表会などを契機に突然話し出す子

園では話さないまま卒業し、就学を機会に態度を変える子

様々・・・

 

 

この事例での女の子の様子とわたしの子どもの頃が少し重なって見えました。

 

わたしの場合、保育所では特別な支援を受けたこともないし

セラピー等専門の機関を訪れたこともありません

わたしの体験。場面緘黙だったかも・・・子どもの頃

保育所時代

わたしは年中さんから保育所に通いはじめました

つまり保育所に通ったのは

年中と年長の2年間です。

それまではどうしていたのかというと、おじいちゃんおばあちゃんと日中ずっと過ごしていました。

おじいちゃんおばあちゃん大好きな

おじいちゃんおばあちゃんっこです。

物心ついた頃からわたしの横にはおじいちゃん、おばあちゃんがいて

ごはんの時も遊ぶ時も常にそばにいてくれると思ったのはおばあちゃんです。

 

その頃(保育所に通いはじめるまでの間)はゆったりわたしと関わってくれるおじいちゃん、おばあちゃんが大好きで

安心した毎日を過ごしていました。

 

父と母に関しては幼いころ日中いっしょにいた記憶があまりなく

覚えている姿では、夫婦喧嘩が多かったし

何より毎日母からは酷く怒られ

手をあげられる毎日

怖いという感情ばかり持っていました

父は仕事が忙しく母よりさらに一緒にいた記憶はありません

父が休みの日はひどく疲れていたようで、わたしと妹が寝室の隣の部屋で遊んでいると

声がうるさかったようで急に怒り出し投げ飛ばされました。

覚えているのはこんな怖かったことや痛かったことばかり・・・

そういった事の方が忘れずに覚えているものなのでしょうね。

 

年中さん、4歳児さんの時に保育所に通いはじめましたが

この時はとにかくはやく時間が過ぎてくれることばかり考えていました。

安心してゆったりいられる家

この「家」というのは、おじいちゃん・おばあちゃんの家にはやく帰りたいとばかり思っていました。

保育所では自分から誰かに話しかけた記憶はありません。

 

ある時折り紙をすることがありました。

折り方を先生がみんなの前でしていて、見ながらするのですが

途中で折り方がわからなくなってしまいます。

わからないけど

「おしえて!」

と自分から話すことができないので、こんな時は泣いてばかりいました

なんで泣いているのか担任の先生が聞いてくれますが、答えたいけど声が出せず

ずっと泣いていました

そんなわたしの様子をじっと見ていた先生は、そこからは何も聞こうとせずわたしの手を繋いで落ち着くまで保育所の中を歩いてくれました。

 

年長になると、担任の先生はかわりました

 

とてもハキハキした先生で、注意をバシバシしている印象が強かったです。

年長の時には特にわたしのことには何も触れられず

話せなくても淡々とした毎日が過ぎていきました

この年長の時にとにかく苦痛だと覚えているのは生活発表会のことです。

練習も本番も辛くて仕方なかったことは覚えています。つまり他のことは覚えていません。

生活発表会で大型の子どもたちが作った紙芝居のようなものをめくっていき

1人ずつ短い文があてがわれて

自分の番になったらその部分(セリフ)を

立ち上がって言うという場面がありました。

 

練習で話せていたのかどうかはっきりと覚えていませんが

本番ではなんとか小声で言えたことを覚えています。

今はもう見られないけど家で撮ってもらったビデオではなにか口をパクパクしている自分が映っていました。

 

この保育所時代はあまり話すという場はありませんでしたが

そういった場面が出てくるととにかく苦痛でした

話したいけど話せない

頭ではこう話そうと思っているのですが、声が出ないのです

小学校時代

小学校でも保育所と同じような状態が続いていました。

個人個人で話すときはなんとか小声で話せていました。

その個人というのも、隣の家や近所にいて保育所のころから顔なじみの子とはなんとか話すことができるというレベルです。

教室で数人集まった時や

みんなの前で話す

なんてことはとんでもない!

まったくできませんでした

 

授業中に

「これわかる人ー」

「はーい!」

なんて言う場面を思い浮かべる方は多いかと思いますが

一度もこの「はーい!」と手をあげることをしたことはありません

 

なぜかって?

当てられても話せない

声が出ないからです

 

自分では答えがわかっていて

何度も

よし手をあげよう!

今度こそあげよう!

と思っていてもそれができないのですよね

 

この気持ちを当時わかってくれた人はいたのかな?

 

わたしが何も話さないから

そんなわたしの気持ちをわかる人なんていないでしょうね。

 

小学校の時にとても覚えているのは

3〜4年生の時に担任をしてくれた先生のことです

その先生はとてもユーモアがあって、みんなを笑わせてくれるわたしの大好きな先生でした

 

授業中1度も手をあげてなかったのですが

そんなわたしを見て

「はい〇〇さん」

と何度か指名してくれるのです

 

わたしはその答えはわかっているけど

やっぱり声が出せません

発声ができないのです。

頭では答えはわかっているのです。あとは言えばいいだけ!

言えばいいだけなのに言えないのです。

 

先生は長い間ずーっと待っていてくれました。

わたしが少し口を動かすと

声は出ないけどみんなの前に立つその先生は

同じように口だけでその答えを同じように動かしてくれたりしました

 

 

まあ、結局待ってもらっても

答えることはできなかったのですがね・・・

 

この時の先生は意地悪して手をあげないわたしを指名していたわけではなく

わたしを後押ししようと何度かあててくれていたのだと

この時(小学校中学年)の時から思いました。

 

この子は何しても話さないんだから何も触れないでおこう

というのではなくて、繰り返しわたしにチャンス

というのか

そういう場をつくってくれていることがわかります

 

その優しさだけでわたしは嬉しくて

みんなの前で話すことができなくても

学校に行くことは苦痛ではありませんでした

 

そしてそんな大好きな先生とも

小学校5年生になるとはなれてしまいます

 

また別の担任の先生になりました

高学年になってしばらくすると

わたしは極度のストレスからか何なのかわかりませんが

 

酷い頻尿(10分に1回は尿意がある)になってしまい

不登校になりました

 

色々な検査はしてもらいましたが、原因不明でした

 

トイレに籠る毎日となり

当然学校には行けません

 

6年生の途中くらいから、少しずつ症状が落ち着いてきて

保健室に行ったり

時々教室に行ったりしながら

なんとか小学校にも通えるようになり

 

卒業できました

 

小学校でもみんなの前で話す

ということはできないまま卒業となりました

 

 

この後中学校、高校とありますが

そのことはまた別に記そうかと思います

 

 

わたしが場面緘黙だったのかも

きっとそうだったわ

と思うのは、家ではなんの問題なく話せても

保育所や小学校という家以外のところでは話せなくなる

ということ

 

身体がガチガチに固まって緊張した状態が続いていたということです

発声したくても自分の意思では声が出せませんでした

 

わたしの保育所、小学校時代の様子はだいたいこの記事にあるような状態で

 

話が変わりますが

わたしの弟も幼いころのわたしに似たような様子で家では何の問題なく話せても、家以外の場所ではまったく声が出せなくなるようなのです

弟は中学校から不登校になりました

はっきりとした何か出来事があったのかはわかりません

本人にきいても

「なにもなかった」

しか、教えてくれません。

本当に特に何もなかったのか、本当は何か学校に行けなくなるような出来事があったのか・・・

本人にしかわかりませんね。

 

うすうす、わたしが場面緘黙だったかな

と思っていたというのは、幼稚園教諭の資格取得のための勉強をはじめる前(今から数年前)に

弟が読んでいた、場面緘黙に関する本を貸してもらいわたしも読んだからです。

 

弟自身「場面緘黙」かなと思っていたということですよね。

自分で自分自身のことをよく考えたり、調べたりしていたのだなあと思います。

弟のこともまた別記事で・・・

弟は弟のペースで少しずつ歩んでいます

まとめ

幼稚園教諭資格取得の勉強の中で気づいた

(それ以前にもうっすら考えたりはしていた)

「わたしも場面緘黙だったかも」

「きっと場面緘黙だった」

と思ったことについて自分の体験談

 

・勉強で学んだ場面緘黙の子どもの1例の姿や対応

・私自身の幼少期の様子や自分が感じていたこと

を書いてきました。

 

病気のようにはっきり診断というようなことはなかなかないのかもしれませんが

家では問題なく話せても

その他の場所では話せなかったり

身体の緊張が極度に強く現れてしまう方は

いるのではないでしょうか

 

この記事ではわたしの幼少期の様子をつらつら書いてきていますが

これまでに取り組んできたことや挑戦したことも記していきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

 

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