わたしは過去場面緘黙症でした。
はっきりそうだったのだわと過去を振り返って思うようになったのは、大人になってからのことですが(遅い)
わたしは人前で話せない
というのも学校や保育園など特定の場所では話せなくなるのです。
中学、高校生の頃になると苦手ながらも人前で話すことができるようにはなってきました。
長い時間をかけて自分が続けてきたことをお伝えしたいと思います。
この方法が場面緘黙で悩んでいる全ての人にあてはまるわけではないと思いますが、続けて努力してきたことで少しづつ自分自身変われた!と確信していることです。
この記事でお伝えすることは、主に私自身で言うと学生の頃特定の場所でまったく話したくても声が出せなかった状態ではなく、短い挨拶であったり、何かを話さなければならない場面ではなんとか話せるようになっていた頃に自分に課して続けていたことです。
場面緘黙症のスモールステップとして自分に課してきたこと
場面緘黙症であっても他の何か精神的な何かにまつわることでも「スモールステップ」が大切
というのを聞くことと思います。
わたし自身は当時場面緘黙症というものを言葉で聞いたことはあったかもしれませんが、書籍などで調べたり聞いたりしたことはありませんでした。
人前で話せない、保育園の時は自分でどうこうして自分を変えようという気持ちはもっていなかったと記憶してますが、小学生の時には学校という空間に入ると声が出なくなってしまうことに悩んでどうにかその状況から抜け出したいと思っていました。
そう思ってもなかなか自分の思うように身体や声はコントロールできなかったのですが、この頃に自分でここはがんばろう!
というかいつも心がけていたことは、少しずつでも目線を上げよう!ということ。
見えない視線がより自分の身体と声をコントロールできないことに繋がっていると思い、すこーしずつでも目線を上げるようには努力していました。
チラリとでも周りを見ることができればOKと自分の心の中で思っていました。
このことは別記事に書いております≫場面緘黙症が治ったきっかけとそれまで意識して続けてきたこと
ここでは、このスモールステップとして自分に課してきた次の段階です。
このスモールステップは勝手に自分が決めていたことですよ。
誰にこうするようにとか言われたわけではありません。
高校生になると、苦手ながらも学校という空間で声が出せるようになっていました。
大学生になります。ここではもう高校の時からの知人・友人はほとんどわたしの周りにはいなくなります。
ここでわたしは一気に変わりたい!
という気持ちはありましたがなかなかそうはいきませんでした。
学校という空間では極度に体の緊張が表れてしまいます。
この時に自分に課して続けてきたこととは「見るものの矢印を変える!」です。
目線のことを言うのですけどね、人に見られているという周りの人→自分
という視線の矢印の方向ではなくて、自分→周りの人
というように常に自分が相手(周りの人)を見ているんだぞ!というように考えるんですよ。
人って見られているという気持ちを持つと緊張してしまいます。人って言ってもみんなではないですね。視線を集めることが快感な人もいますものね。
わたしのように視線を集めたくない、見られたくない!
と感じてしまう人にはこの視線の矢印を変える!
というのはスモールステップとして最適ですよ。
またまた、後から知った事なのですが、この矢印のこと「矢印法」だったかな?
そんな名前で実際にある方法なんだそうですよ。
少し前まで知りませんでした。
場面緘黙症に関する本ではないのですが、ある本で書いてありました。
いい加減でスミマセン。
この視線の矢印を考える時を具体的にいうと
・自分一人がゼミで発表する場面
・部活動で連絡事項をみんなに伝える場面
・数人で集まって会議する場面
こういう時です。
長文を上手く話そうと考えるのではなくて、自分が相手に口下手でもいいから思いを伝えようという気持ちだけもって話します。
噛んでしまっても、途中でとまってしまってもいいんです。
うまく伝わるかな?こんな自分は周りからどう見られているのかな?
と考えるのではなくて
下手でもいいから相手をしっかり見てとにかく話してみよう!
これだけで十分です。
いーーーっぱい失敗しましたが、今は人前で声が出なくなるということはなくなりました。
この時からさらに月日は流れて、意中の方に自分から話しかけられてありがたく結婚することができたわけですが、新婚の時に相手の職場の人だったり親族だったり挨拶する場面があるのですが、ここでもはじめは上手く言葉が出てこないことはありました。
しっかり挨拶してほしい
と夫から言われたこともあります。
周りからは常識のない人にしか見えませんよね。
とっさに声が出なくなることはありましたが、その状態が長く続くことはなく、口下手ながらも挨拶程度はできるようになっていますよ。
矢印法は続けてきてよかったと思っています。
勝手に「矢印法」と言っていますが実際は間違っていたらすみません。
見方を変えると自分の心を少しはコントロールできるわよとお伝えしたいです。
わたしは場面緘黙症で長い間自分が変えられずに悩んできましたが、ゆーっくりながらも人前で話せるようになってきました。
なんにでも言えることですが、焦らないでゆーっくりね。
2023年10月 yayoiの電子書籍Kindleを出版しました。
↓↓↓
場面緘黙症だった幼いころから大人になるまでのわたしの姿・挑戦してきたこと・大人になって考えること
楽に話せるようになるためのヒント
今現在(20代後半)場面緘黙症の弟の姿
すこしでも参考になったり、気付きになれば嬉しいです。